予備自衛官雑事記

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ウクライナ義勇兵募集と戦後日本の義勇兵

※記事の内容は投稿日現在のものです。

 

 前回記事で紹介した在日ウクライナ大使館の義勇兵募集については公式ツイッターから削除されました。その後、ボランティアを募集するツイートが上がったものの、これも短期間で削除されたようです。

 

 既に外務大臣内閣官房長官からウクライナ全土に退避勧告が出ているため志願しないようにとの呼びかけがなされていたことから、恐らく在日ウクライナ大使館も日本政府の意向に従ったものと考えられます。

 

 ネット上では義勇兵参加について「国が行くなと言っているのだから行くべきではない」、「ロシアと無用な対立を起こすな」、「もし捕虜となって経済制裁解除と交換条件にされる人質になったらどうするのか」等の意見も見られました。

 

 さて、実は戦後、日本人が他国で義勇兵として戦った例というのは少なくありません。

 

 代表的なのは終戦直後から1949年まで続いたインドネシア独立戦争です。現地駐留の日本軍のうち脱走した日本兵約一千人が独立戦争に参加。オランダ軍と戦火を交えています。当時は独立派への協力が連合軍に禁止された状況で、日本人の引き上げにもどう影響するか分からず、日本の国際的立場を危うくする可能性もありましたが、それでも多くの元日本兵インドネシアの独立の為に戦い、斃れました。

 

 戦後、インドネシアへ日本企業が進出し始めた頃、その橋渡しとなったのは彼ら残留日本兵でした。インドネシア政府は独立の為に戦った元日本兵を忘れることなく、英雄墓地に埋葬したり、勲章を授与するなどの待遇を与えています。戦後の日本・インドネシア関係の礎となったのは間違いなく彼らだと言えるでしょう。

 

 また、ベトナムでも多くの元日本兵が残留しベトミンに協力しフランス軍と戦っています。

 

 彼ら残留日本兵は様々なリスクを踏まえたうえで義勇兵として戦争に身を投じました。結果論にはなりますが、その行動は現地国と日本の絆となり、戦後日本にとって良い結果になったのではないかと思います。

 

 日本政府はベトミンに参加して戦死した井川省元少佐に対して勲五等瑞宝章を授与。平成27年には当時の安倍晋三首相がインドネシア独立戦争で戦った日本人の墓前に献花しました。

 

 ウクライナ義勇兵について色々と言われておりますが、その賛否はともかくとして、この問題を考える上で戦後の日本人がどのようにして海外で戦い、どのような結果につながったのか知るのも有意義ではないかと思います。